よくわかる日本の球体関節人形の歴史(流れ)2012/10/28 23:13

過去のブログ記事で、恋月姫天野可淡とか、いきなり書いてましたけど、真空管アンプ関連の人々にはサッパリだよな。とテツさん反省しました。

ていうか、世間一般の人々でさえ知らないかも。。。(汗

そんな訳で。。。

球体関節人形に興味ある方や、これから球体関節人形を自作する方々のために、簡単に日本の球体関節人形の歴史(流れ)を説明したいと思います。

とは言うものの、htwi(ヒッティ)2001年12月号に、ドールフォーラムジャパン編集長 小川千恵子インタビュー記事が載っていて、その記事の説明がとても分かり易いので、私が説明するよりその記事を引用した方が良いかもしれません。。。(汗


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htwi(ヒッティ)2001年12月号
htwi(ヒッティ)2001年12月号

htwi(ヒッティ)NO.8 ドールフォーラムジャパン編集長 小川千恵子インタビュー記事
ドールフォーラムジャパン編集長 小川千恵子インタビュー記事


ちなみに、htwi(ヒッティ)は美術系の季刊誌ですけど、現在は絶版ぽいです。おまけに、ドールフォーラムジャパンもサイトの更新が、2010年5月12日で更新が終了しているので、現在は活動していない(?)ようです。

ですけど、球体関節人形についての資料的な価値が高いと推察しますので、上記雑誌内の記事から、ちょろっと部分的に引用させて頂きます。



下掲載(↓)の『球体関節人形の流れ』の図を見ると一目瞭然です!

ドールフォーラムジャパン編集長小川千恵子氏(当時)が分類した、球体関節人形の流れ 
小川千恵子氏が分類した、球体関節人形の流れ 


以下は、htwi(ヒッティ)2001年12月号からの引用です。


。。。。。

ドールフォーラムジャパン編集長 小川千恵子インタビュー

創作人形の流れ

■球体関節人形を中心に創作人形の流れを教えて下さい。

(前略) 人形表現のうちで、現代美術に通用したり、美術工芸の分野を切りひらくような非常に革新的な世界を打ち出したという、シモンさん、土井典さん、ジュサブローさんなどを私は便宜上、第1期の世代と呼んでいます。人形にこういう表現があるのかとインパクトを与えた方々だと思うんですね。

そのインパクトが余りにも強かったために、こういうものをつくりたいと見よう見まねで新しい人形をつくり出す人たちが出てくるんです。それが、吉田良一(現 吉田良)さんや天野可淡さんたちの第2期です。この人たちも先生につかないで制作をはじめています。78年にシモンさんがエコール・ド・シモンをはじめ、83年に吉田良一さんと天野可淡さんがール・スペース・ピグマリオンという教室をはじめます。
 ここら辺から教室に通ってテクニックを磨く作家がたくさん出てくるんですね。それを私は第3期と呼んでいます。

そしていまは第3期の作家が教室をもちはじめ、その生徒たちの第4期が、そろそろ個展をはじめたり、作品発表をはじめています。

(記事中の記載は、2001年12月当時です。)



ハンス・ベルメールの人形の影響はまだあるんですか。

 第1期、第2期くらいまでは、 ハンス・ベルメールの影響を受けていますが、第3期以降になると、ベルメールを知らない人も出てきて、むしろシモンさんや吉田良一さんなどの影響を受けた人が増えてきます。
 シモンさんがベルメールの球体関節人形に見いだした関節の意味というのものが、まずあったと思うんです。それが深かったし、日本人の感性に訴える部分もあっただろうし、魅力だったと思います。現在の球体関節人形は、形だけを安易にまねをしてしまっている人が多いと思います。

 球体関節人形が、人形の様式として特別な意味をもって意識されているのは日本だけなんですね。確かに海外の作家でも球体関節の人形をつくる人はいますが、伝統的に球体関節があるというだけで、ありきたりの人形の形として受け入れています。日本の球体関節人形作家は、まず球体関節ありきで、よくも悪くもナルシスティックな作品が多いです。似たような表現になりがちです。


吉田良一と天野可淡

 最初、吉田良一さんはシモンさんのところに習いに行きたかったそうなんですよ。まだそのころ、シモンさんは教室をやっていなくて、次にジュサブローさんのところに電話をしたら、偶然なんですが、誰も電話にでなかった。仕方がないから自分でつくりはじめたそうです。いま考えるとそれがいいことだったとおっしゃっていました。『 もしシモンさんに習っていたらどうなっていましたか 』とうかがったら、『 たぶん、シモンさんの影響でつぶれていただろうね 』ということをおっしゃっていましたね。

天野可淡さんはどういう方だったんですか。

 私は残念ながらお会いしたことはないんですが、男性的な方で、バイクに乗って革ジャンを着て、ボーイッシュでカッコイイ人だったというお話ですね。カリスマでしたよね。気合いの入った言い方でほかの作家にはっぱをかけたり、自分のことだけ考えないで、みんなでいっしょにやっていかなくちゃとか、リーダーシップのある方だったようです。
 可淡さんもシモンさんの球体関節に触発されたと思います。シモンさんのクールさに対して、可淡さんは情念を内側からもろにぶつけていきました。それは、男性対女性という対比もできると思うし、クール対情念という対比もできるかと思います。女の人はどっちかというと、可淡さんに共鳴して、パーッと流れた人が多いようですね。シモンさん、吉田さん、可淡さんという3人が、日本の球体関節人形のベースになった気がします。
 球体関節の人形の素材は、それまで主に粘土だったんですが、可淡さんと同世代の恋月姫さんがビスクで作品を発表するようになって、可淡人気が恋月姫さんの方へシフトしていったという印象がありますね。その影響か、ここ2~3年、ビスクのものが本当に増えてきました。

(記事中の記載は、2001年12月当時です。)

 日本の人形の歴史を言うときに、ジュサブローさんの布の人形の流れも大きなものがあって、そのことについていまは深くふれていません。私はそれを布人形系と呼んでいるのですが、割と布の人形から入る人も多いですよ。球体関節人形をやりたくて人形をはじめる方は、布が得意じゃない人が結構いて、裸で見せたがる人、体を見せたい人が多いですね。布人形系の人は、割合から言うと熟年層の方が多いですね。

最近の人形作家

■昔といまの人形作家の作品は変わってきているのですか。

 それは残念ながら、ここ30年くらいやっていることはあまり変わっていません。1つには人形教室の影響があると思いますが、どんな先生についても傑出した個性を打ち出す人はいます。しかし、ついた先生の魅力が強ければ強いほど、それにひかれてはじめるわけですから、その影響から逃れることはかなりの意識と力をもっていないと難しいですね。


。。。。。


以上。一部抜粋ですけど、引用させて頂きました。

これで、なんとなく球体関節人形についての大まかな流れが判るのではないでしょうか???


ちなみに、四谷シモンのインタビュー記事もあるのですが、ていうか、そちらがメイン(!)なのですけど、なかなか興味深かったです。


 htwi(ヒッティ)2001年12月号 四谷シモンインタビュー記事
htwi(ヒッティ)2001年12月号 四谷シモンインタビュー記事

オリジナルの人形を作れるようになるまでには、真面目にやって、5~6年かかる。


オリジナルの人形を作れるようになるまでには、真面目にやって、5~6年かかる。
という記事を読んで、やっぱりそうなんだ!と、このhtwi(ヒッティ)を読んだ当時、えらく痛感しました。

時系列的には、このhtwi(ヒッティ)2001年12月号の四谷シモンのインタビューを読んでから、吉田式球体関節人形制作技法書の書籍を読んだので、それっぽい人形ができても自分の人形ができるまでには、それから結構かかるんだよなぁ。と、しみじみ実感していました。


私個人は、真空管アンプを作りながらですから、もう10年以上経ってるんですけどね。。。(大汗


( なんじゃそりゃ。。。(^_^; )




本日のブログ記事が、球体関節人形に興味ある方や、これから球体関節人形を自作する方々のお役に立てば幸いです。(^O^)



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